My story...

幼少期から高校時代

母がバスケットボールをしていたことをきっかけに、小学校3年生からバスケットボールを始めました。

運動は幼少期から得意で、学生時代はバスケットボール以外の競技や勉強でもある程度の結果を出し、
「自分はできる」という感覚を特別疑うことなく持っていました。

高校は親元を離れ、県外の強豪校へ進学。

初めての寮生活の中で、家族にどれだけ支えられていたかを実感すると同時に、バスケットボールに打ち込める環境、人との出会いを通じて、人としても選手としても大きく成長することができました。


怪我は多かったものの、恵まれた仲間や指導者に囲まれ、「バスケットボールが楽しい」と心から思える時間を過ごしていました。

「もっと上のレベルで挑戦したい」

その思いから、関東一部リーグの大学へ進学します。

大学時代

大学1年生のシーズン、思っていた以上にやれる感覚があり、スタメンで出場する機会を得ました。

「やれる。ここからだ」

そう感じた矢先、足首の故障。過去の捻挫の積み重ねにより関節内に骨棘(骨のトゲ)ができ、炎症を起こし、満足にプレーできない日々が続きました。

全力で走れない、思うように動けない。そのもどかしさから、気持ちも次第に沈んでいきました。

シーズン終了後に手術を行い、「来年こそは」と迎えた2年生のシーズン。

しかしリーグ戦前、今度は膝の疲労骨折。足首の復帰からわずか2ヶ月のことでした。長期離脱が決まり、タクシーの中で涙を流しながら大学の体育館へ向かったことを、今でも鮮明に覚えています。

「なんで今なんだろう」

努力や気持ちだけではどうにもならない現実を、突きつけられました。

それでも「3、4年生で必ず活躍する」と決め、リハビリに向き合い、その甲斐あって、復帰後は再びバスケットボールを心から楽しめる時間を取り戻しました。

一度も勝てなかった相手に勝てたり、自分たちのバスケットを表現できることの楽しさを知り、心から楽しいと思えるバスケットボールをして結果につながったこと。

「この感覚を、もっと上の舞台でも味わいたい」

そう思い、日本女子のトップリーグであるWリーグへ進みました。

Wリーグ〜1度目の移籍


しかしトップリーグの世界は甘くありませんでした。

初めて入団したチームではなかなか勝つ事ができず、自身も未熟だったこともあり、苦しい思いをたくさんしました。

ただ、どんなことがあろうと、自分の中では、「ここで結果を出して、上位チームに移籍するんだ。」

その想いで過ごしていました。


上位チームへの移籍後、出場機会の減少、求められる役割の違い。

自分が出なくてもチームは勝つという現実。

結果が出ない自分、思うように貢献できない自分を受け入れられず、存在価値が揺らぎました。

苦しくて苦しくて、自分が自分を信じられなくなって、初めて「バスケットを辞めたい」と思うほど追い込まれました。

何より一番苦しかったのは、どんな辛いことががあったとしても、自分が望んでいた環境を掴み取ることができたのに、もう辞めたいなんて思っている自分自身を許せないことでした。

ただ、この苦しさは
「もう一度、心からバスケットを楽しみたい」「自分らしくコートで輝きたい」

という思いの裏返しであることにも気づきました。

そこから、もう一度自分らしく、楽しんでバスケットするにはどうしたらいいだろう?と頭が切り替わりました。

「今の自分に何が求められているのか」「今できることは何か」

自分にコントロールできることに目を向け、行動を重ねていきました。

少しずつ役割が明確になり、シーズン終盤にはスタメンとして出場し、チームの目標達成に大きく貢献することができました。

どんな状況でも、今自分にできることを考え行動し続けることの大切さを学ばせてもらった時期でした。

2度目の移籍

その後も移籍を重ね、昇格、残留がかかったシーズンを経験。

チームの主力選手として試合に出場させてもらっていたこともあり、
結果へのプレッシャーの中で、自分を数字や評価で測り、再び競技が苦しいものになってしまいました。

「このままでは続けられない」

そう感じたとき、自分自身と本気で向き合うことを決めました。

メンタルコーチをつけ、自らも理論を学び、深く見つめる中で気づいたのは、うまくいかない自分、できない自分を受け入れられていなかったこと。

結果や他者評価を基準に、自分の価値を決めていた」ことでした。

過去、何をやってもある程度うまくいってきたことで「自分はできる」というイメージが、うまくいかないことが続くことで崩れ、自分自身の存在価値が揺らいだのだと今では腑に落ちています。

そこから自分の中の基準を

「自分にできることをやり尽くしたのか?」「目の前のことに全力を尽くしたのか、尽くそうとしたのか」「結果にふさわしく在れたのか」

このようなことを基準にに置いたとき、バスケットボールは再び楽しいものへと変わりました。

そこからは、自然と結果もついてきました。

3x3日本代表への選出、チームの優勝、3ポイント王の獲得、ベスト5。


そのとき強く感じたのは、

結果への執着を手放し、その結果にふさわしい準備や取り組み、在り方が自然に結果になるということでした。

競技の中で体感として感じたことが、学んだ理論と繋がった感覚もありました。

キャプテンを任されたラストシーズン

最高の結果と成長を感じたままに、ラストシーズンではキャプテンを任されました。

昇格を決め、戦うレベルが上がる中、悩みの質はさらに変わりました。

なかなかチームを思うように導く事ができない。目標を達成するに相応しいチームになるには全然足りない。

そんな思いから、モヤモヤしながら過ごす日々。
キャプテンになってから、コーチ陣の評価がキャプテンとしての自分への評価になってしまっていました。

チームに厳しい言葉をかけられるほど、それが全部自分の責任だと、評価だと勝手に一人で背負い込んでしまい、苦しい日々が続きました。

そしてシーズンが開幕。戦える手応えはありつつも、
チームは負けが続き、自分自身も脳震盪による離脱。

キャプテンとしてうまくチームを導く事ができない無力感に加え、プレーすることもできなくなり、受傷後はなかなか前を向くことができない日々が続きました。

前を向く事ができない時もある。そんな自分も自分だ。そう受け入れることはできていても、それでも心のどこかに、プレーできない自分には価値がないと思っていたのだと思います。

「こんな気持ちで体育館に行きたいわけじゃない。」

自分に問いかける時間が増えていきました。ふさわしい在り方を見直そう。

「どんな状況でも、今の自分にできることをやり尽くす」

その在り方でチームと向き合い続けました。

今までチームがよくならないのは、全て自分の責任だ。チームをうまく導く事ができない自分はダメだ。

そう思っていた思考から、
私一人にできることは限られてる。
チームが良くなるかどうかは自分にコントロールできることではない。
チームが良くなるために、今の自分にできることをやり尽くそう。

そういう在り方でいることで、チームに与える影響力も良いものへと変わっていく実感があり、
プレーできなくてもすごく楽しかった。

「自分が今できることをやり尽くそうとすることで、周りにこんなにもいい影響を与えていく事ができるんだ。」

バスケットができない時に感じるこの楽しさは、今までに感じたことのない楽しさと喜びでした。
何より、不思議なことに、あんなにコーチ陣から言われる言葉が苦しくてたまらなかったはずなのに、
以前のような苦しさがなくなりつつあることに気づきました。

そしてそう思う事ができたのは、
離脱中、踏ん張る仲間の姿や、コーチ陣、チームスタッフ。そしてその全てを後押しする応援してくださる方々の存在でした。自分の結果はどうでもいいから、この人たちのために持てる力を出し切りたいとそう心から思わせてもらったのです。

そして復帰後、今まで自分の成長や楽しさが多くの原動力となり、続けてきたバスケットボールが、「この人たちのために」と思えるものへ変化し、そういった思いでプレーする事ができた時間は今までとは全く違った感覚で、本当に幸せな時間を過ごす事ができました。

その経験を通して、心からやりきった、学べるものは学び切ったと自然に思う事ができ、次のステージへ進む選択をしました。

メンタルコーチとして

結果が出ている時も、出ていない時も、プレーできる時も、できない時も、

そのすべてを経験してきたからこそ、苦しさも、その先にある喜びも、体感してきました。

試合のプレッシャー
怪我の不安
結果が出ない苦しさ
競技人生の迷い

そんな葛藤を抱えながらも、本気で競技と向き合っているアスリートと、深く関わっていきたいと考えています。

今度は私が、同じように悩むアスリートの伴走者でありたい。

その人らしく持っている力を存分に発揮し、競技を心から楽しんだその先に、望む結果が自然とついてくるように。

結果を出すサポートはもちろん、その先の人生を見据えたサポートをしていきます。

自身の経験と理論をもとに、在り方を磨き続け、関わるアスリートへ還元していきます。